Watchman Nee ウオッチマン・ニー (1903-1972)

 ウオッチマン・ニーは中国大陸において1920年の17歳でクリスチャンになり、執筆を始めました。ウオッチマン・ニーは約30年間の務めを精通して、この時代における主の動きのために、主から彼のからだへ与えられたユニークな賜物であることが明らかに現されました。1952年に彼は共産主義政権によって投獄され、1972年の死まで監獄に入れられたままでした。彼の言葉は、世界中のクリスチャンたちへの霊的な啓示と豊富な供給の源となっています。

ウイットネス・リーの証し

接触の印象

 1925年から1950年まで、わたしはウオッチマン・ニー兄弟を認識した25年を通して、彼のある特長について、深く印象付けられました。

 

主に対して絶対的である

 彼は主を、彼の初めの愛として愛しました。彼にとって、主はすべてのことで第一でした。主の益に対して彼は決して妥協せず、便宜のためにいかなる真理をも犠牲にしませんでした。彼はまた、ただ半分だけ主に従ったのではありませんでした。彼の、主に対する献身は、絶対的でした。

 

十分に均衡が取れている

 聖書の認識と召会の実行の上で、彼は十分に均衡が取れていました。彼は、宗派で多くのクリスチャンが行なっているように、不均衡な方法でのどんな教えや実行にも従いませんでした。彼はしばしば、ある事柄の一つの観点を他の観点と比較して、ある種の極端に陥ることから自分を守りました。彼は日常のクリスチャン生活の中で、同じ原則を実行しました。

 

すべてを含んでいる

 彼は多くの古典のキリスト教書籍を読んで、多くのさまざまなキリスト教団体のあらゆる聖書的な優れた点を取り上げ、それらをすべて召会生活の実行の中へと集めました。彼は決して、ある聖書的な優れた点が間違った源からだというだけで、それを拒絶することはありませんでした。彼は極端なペンテコステ運動の中からさえ、幾つかの良い項目を取り上げました。このようにして、過去の世紀に、キリストが彼のからだに与えてくださったあらゆる豊富を、彼は召会の現在の実行へともたらしました。彼を通して、わたしたちは今、地方召会の中で、これらすべての豊富にあずかることができます。それは狭い方法でではなく、宗派的にでもなく、すべてを含む方法でです。

 

聖書を知っている

 わたしの全生涯で、わたしはニー兄弟のように深く聖書を知っている人に、決して会ったことはありません。彼は過去の世紀の品もすばらしいクリスチャン著者の多くから、たくさんの助けを受けましたが、また彼らの肩に立って、さらに聖書から多くのものを見ました。彼は聖書の文字を知っていただけでなく、聖書の霊をも知っていました。彼は深みに探り入り、聖書の霊に触れました。彼の聖書に対する認識は、光に満ちており、命に浸透されていました。彼は聖書の客観的な見解を持っていただけでなく、神の言葉の主観的な経験をも持っていました。

 

主を認識する

 彼は真に神の人で、完全に主を認識していました。彼は主の方法だけでなく、主の法則をも認識していました。彼は、主の愛、あわれみ、恵み、義、聖に従ってだけでなく、主の永遠のご計画、主の現在のエコノミーに従っても、主を認識していました。彼は主に対して、完全な客観的知識と、生きた主観的な認識を持っていました。彼は個人的に主を知っており、召会の中でも、彼のからだを知っていました。

 

命を知る

 彼は、主が生ける霊であって、彼の霊の中に生きておられることを認識しており、いかに自分の霊を活用するかも知っていました。彼は自分の魂の思い、感情、意志を拒絶することを訓練し、霊の中で生活行動することをも訓練しました。このようにして、彼は彼の命なる主によって生きました。彼は働きにあまり注意しませんでした。彼は絶えず、働き以上に命に注意を払いました。彼は繰り返し、働きは命の流れ出であるべきである、と言っていました。彼の務めは働きの務めではなく、命の務めであり、命によって成された務めでした。彼は自分の行なったことよりも、自分であることのほうに、より注意を払いました。彼は真に命の人でした。

 

召会を認識する

 彼は、召会がキリストのからだであり、キリストをその命、内容として、彼を表現することについて、はっきりと見ました。彼はまた、ただ地方召会が存在してのみ、召会が実行的になり得ることを見ました。そして、地方にある召会だけが、神の永遠の目的を成就して、召会を建造させ、陰府の門も打ち勝てないものとすることを見ました。彼は完全に、正当な立場で正当な召会生活を回復することが、神の現在のエコノミーであることを認識していました。彼は召会について、単なる教理を教えたのではありませんでした。彼は新約聖書から、召会の内容と実際についてだけでなく、召会の実行についても、完全な啓示を受けました。何年間もの彼の務めを通して、彼はキリストの経験に重きを置いただけでなく、召会生活の実行をも強調しました。彼のビジョンはキリストだけでなく、キリストと召会でした。キリストは彼の命であり、召会は彼の生活でした。彼はキリストのため以上に、召会のために苦難を受けました。宗派から彼に来た迫害は大部分、彼が召会を強調したからでした。彼は召会生活の実行について、彼のビジョンを遂行する負担がありました。彼は中国のあらゆる都市に、地方召会を見ることを願っていました。

 

時代の賜物

 わたしはウオッチマン・ニー兄弟が、かしらが彼の回復のために、この時代に彼のからだに対して与えられたユニークな賜物である、と考えています。わたしは絶対に、彼をそのような賜物として尊重します。わたしは、主の益のために、この地上での主の現在の動きにおいて、この賜物に従うことが、絶対に主からのものであるという、全き確信と把握があります。わたしは人に従っている、とだれに言われたとしても少しも恥を感じません。この人は、この時代におけるユニークな賜物であり、神聖な啓示の先見者です。 わたしは本当に主に感謝していますが、わたしの救われた後、直ちにニー兄弟とのこのような益のある関係へともたらされ、長い年月の間、多くの事柄の中で、主の回復の働きの上で、彼との最も親密な関係へと置かれたのです。わたしはニー兄弟を通して、キリスト、召会、霊、命についての啓示を見ました。わたしは彼から命の注ぎを受けました。わたしが彼から学んだ働きと召会に関する事柄は、その真の価値を測るのに永遠を要するでしょう。

 (「今の時代における神聖な啓示の先見者ウオッチマン・ニー」 JGW日本福音書房

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